海外で働くことが目標になったきっかけ
大学時代に何度もアメリカに1−2ヶ月の短期ステイを繰り返していた経験から、海外それもアメリカで働くという壮大な目標が生まれました。
海外に行ける会社というと商社やメーカーになります。
運悪く僕の時代は就職氷河期で何十社受けても全て書類や一次で落ちる経験をしておりました。
僕はFランだったので応募先は中小企業になります。
中小企業は採用が若干名のため、倍率は100倍は超えてたと思います。
一回の説明会で一人も採用されないことになりますね。
結局内定したのは大手牛丼屋と自動車ディーラーのみでした。そこで親の反対を押し切りアメリカ展開している牛丼屋に就職したものの、牛丼が作れなくて2ヶ月で逃げるようにして辞めました爆
その後の就職先は超絶ブラック企業
その後の就職先は新聞の折り込み広告で見つけた支店の社員数名のエンジニア派遣の会社の営業でした。
ここは海外に行ける会社ではなかったのですが、とりあえず惰性で就職してしまったという感じです。
社員数名の会社では毎日16時間労働で疲弊してここも8ヶ月で退職。
今の僕なら会社と対等に喧嘩してますが、当時は我慢しちゃいましたね。
その後は東京、ニューヨーク、ロスに展開しているパソコンショップの求人があり、秋葉原で面接して採用。とりあえずビザなしで渡米して僕の初海外勤務は始まりました。が、ここの店員がモーレツすぎてその店の雰囲気についていけず一日半で逃げるように退職というか飛びました笑。
帰国後もアメリカ就職の夢は諦めきれず、現地の人材紹介会社に登録しても、ビザがないなどの理由で話は進まず。
ロスのコミュニティサイトの求人で、ミツワマーケットのテナントであった日用雑貨のベンチャー企業の求人があって、電話面接をして内定の文言は得ました。
ただ先のPCショップ同様な気もしてここは乗り気がせず自然消滅となりました。
ここは自分がチキンでした。
ついに見つけたアメリカに行ける会社
帰国後も諦めず、今度はアメリカに進出している電話帳のような企業便覧を通販で購入して、1ページ目から最後のページまで全てメールで問い合わせしました。
数打ちゃ当たる方式です!
ほとんど返事すらありませんでしたが、ごく稀に返事が来ました。
でもビザがないので厳しい
とのこと。これは致し方ありません。そんな中、山形県のある老舗海苔屋から返信が!
一緒にやってくれる仲間を探しています
とのことで、早速山形に飛んで面接を受けました。その会社はアメリカとカナダに支店があってアメリカ勤務要員の研修生として採用されました!
給料は18万円でした。手取り15万くらいだったでしょうか。僕はアメリカに行くことが目的だったので待遇は関係ありませんでした。
勤務開始して半年以上たったころでしょうか、弁護士を雇って労働ビザの申請を開始しました。ところが運悪く911のあとで、ちょうどビザ取得が困難になってしまい、結果3回却下されて事実上アメリカ行きは閉ざされました。
そこで次善の策としてワーホリビザをとって、カナダ支店に転勤・転籍することになりました。
それが2004年、一年間営業マンとして勤務し、雇用主から永住権申請のサポートをしてもらっていたのですが、何と雇用主が驚くべきことにそのサポートを取り下げてしまったのです。
ワーホリは1年ですから止む無く帰国・退職しました。
2009年5月にカナダ移住達成!
帰国後も派遣で働きながらネットで就職活動してました。バンクーバーの水産会社と面接して、内々定をもらったんだけど、後になってやっぱりビザのサポートが無理とのことで内々定取り消しに。。。
その後もJP Canadaでバーノンというバンクーバーから東に車で5時間の田舎街にある寿司の製造販売会社で、工場のワーカーを募集していたので、「営業経験あります。募集してませんか?」と問い合わせをしたら、
営業、仲間を募集しています。
とのことで、お盆休みに東京からバンクーバーまで行って、レンタカーでバーノンまで面接に行きました。
結果は採用でいきなり永住権のサポートをしてもらえることになりました。
その後、紆余曲折あって移民弁護士のビザ申請の進捗が不調で雇用主もしびれを切らして、
もう待てないからビザのサポートを取り下げたい。
と連絡がありました。ここで僕は粘って泣きを入れて、弁護士からもサポートをやめないように言ってもらって、何とかビザのサポート継続もらえることになりました。
その後、その雇用主はカナダ最大手の寿司製造販売会社に会社を売却したのですが、とてもラッキーなことにビザのサポートは引き継いでもらいました。その後ビザの許可が出て2009年の5月に日本の生活にピリオドを打ちカナダに移住しました。取り急ぎ入国時は労働ビザが出て、その数ヶ月後に永住権がもらえることが決まっていた状況です。
結果4年間就職活動をしたことになります。
2004年のバンクーバー貧乏時代に立てた誓いが現実に!
2004年にバンクーバーの海苔会社で働いていた時は、シェアハウスで様々なルームメイトと過ごしました。あの頃は貧乏だったけど、楽しかったです。当時のルームメイトとは
2010年バンクーバーオリンピックはカナダ移民として盛り上げる
という話を真面目にしたのを今でも鮮明に覚えています。
クリスマスに永住権が取得できる状態になり、2010年元旦の勤務後の夜吹雪の中、車を飛ばしてUSA/Canada国境に行って晴れてカナダ移民になることができたのでした。